本能寺の変の時、織田信長家来は数十人(?)と少なかったのはなぜ?理由があるはず。

本能寺

2018年6月23日22時、「諸説あり!」で本能寺の変SPのアンコール放送がありました。

本能寺の変、学校の歴史の授業で教わったり、本やドラマなどでの明智光秀が織田信長に謀反を起こした理由はなんとなく知ってるぐらいでしたので、今回の「諸説あり!」をみて、チコちゃんに「ボーっと生きてんじゃねえよ!」と叱られそうな感じが。

せめて、この放送の内容にまではアップデートしないといけないと思って記事にします。


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番組内での本能寺の変(天正10年6月2日)の諸説

明智光秀は四国攻め阻止のために謀反を起こした説

2014年、本能寺の直前、四国の戦国武将・長宗我部元親が光秀の家臣で親戚関係にあった斎藤利三(妹の夫が元親)とやりとりした書状が見つかったことで、明智光秀の謀反を起こした原因はこの説が大きく浮上してきたのです。

元々、明智光秀の仲介で織田信長と土佐元親は友好的な関係を築いており、信長は四国を平定してもいいと言う内容の朱印状を元親にを送っていました。

が、その後、四国の三好康長が、羽柴秀吉を通じて信長と友好的な関係を築きたため、転廠9年信長は元親に領国は土佐と阿波の一部とすることの朱印状を送ってます。

内容は6月2日の本能寺の変の約5カ月前にあたる1月11日付書状では、利三が元親に「要求に従うのが長宗我部家のためになるし、光秀も努力している」と助言。
これに対し元親は5月21日付で「阿波国中心部の諸城からは退いたことを信長殿に伝えてほしい」と返答。
信長の命に従うことで激突を避けようとしていたことが初めて分かってます。

長宗我部元親

仮に、元親が譲歩したといっても、織田信長は阿波を取り上げる方針を決めていること、とても報告できない内容だったため、四国攻めに加担するか、謀反に立ち上がるか。究極の選択の決断に迫られた光秀は謀反を起こしたという説です。

羽柴(豊臣)秀吉の7日での中国大返しには疑問。事前準備が・・・

本能寺の変の後、羽柴(豊臣)秀吉は戦っていた毛利家と手早く講和し、「中国大返し」によって驚異的なスピード(備中高松城より200キロメートルを7日で移動)で近畿地方に戻っているが、これらは事前の準備がなければ不可能だったとも言われています。

中国大返しルート

出典:http://www.eva.hi-ho.ne.jp/t-kuramoti/rekisi_ogaesi.html

秀吉は6月3日の夜に本能寺で織田信長が明智光秀に討ち取られたことを知ります。6月6日に水攻めの堤防を切り、2万の軍の200キロメートルに及ぶ大転進を開始し、6月13日山崎の合戦で明智光秀を討ったことになってますので、7日間の移動となります。

「諸説あり!」で疑問視されてるのは2日目、大雨の中の姫路までの約80キロメートル進んだということ。甲冑や刀をまとった者が進めますでしょうか?今の舗装された道で一般男性が42キロメートルを進むのに8時間ほどかかると考えるとありえないのではないでしょうか。

定説の2日目の80キロメートルをAIのシュミレーションでは2.5日かかったのです。AIでは中国大返しは10日間かかった決河となりました。

秀吉と光秀とはお互いよく愚痴ってたらしく、もしかしたら、本能寺で光秀が謀反を起こす可能性があるということで、事前の準備はしていたのではないかと思います。甲冑や刀は京都周辺に用意してたのではないかと。

秀吉は黒幕ではなく、好機を狙ってたのではないかと思います。

織田信長は徳川家康を殺そうとしていた

明智光秀の家臣の足軽である本城惣右衛門覚書に「我らはその時は家康様が御上洛しておられるので、家康様を討つとばかりに思っていました。」とあり、イエズス会の宣教師ルイス・フロイトの”日本史”には「明智光秀は信長の命に基づき三河の家康を殺すつもりであろうと考えた」と記されてます。

織田家中では信長が家康を討つことは暗黙の了解だったとのことです。

家康は武田の家臣たちを匿ったという背信行為を行っていたこと、家康の祖父・父は信長の父信秀の謀略よって惨殺され、叔父も武田との密通を疑われ信長の命で殺害、さらに嫡男も叔父と同じ嫌疑で自害に追い込まれている一族の因縁があるという理由で信長は家康の暗殺計画を周到に練っていたということです。

信長は事前に家康の警戒心をなくすために、安土城で盛大にもてなし、1週間後は嫡男の信忠を同行させ京や境を案内したが、裏では6月2日に家康を本能寺に呼び出し、明智光秀に討たせる計画をたてていたという説があります。

5月29日に信長はわずか2、30人の護衛で本能寺に入ったのです。家康が信長に謀反を起こしたという話を作り、返り討ちにしたという大義名分を立てるお膳立てのための少人数だったと考えればつじつまがあいます。

諸説あり!「本能寺の変」

出典:BSフジ

家康は裏で光秀の心を掌握していたのでは

わたしは家康はすでにどこからか信長が自分を討とうとしている情報を入手していたのではないかと思います。京都に多くの伊賀忍者を商人などに変装させて、いつでも守ってもらえるようにしてたのではないかと。

一方で、光秀の信長への遺恨、恐怖心や信長の長宗我部元親の四国討伐で悩んでいることを逆手にとって、間接的に光秀が本能寺で信長を攻め入る知恵と後押しをしたと考えます。

伊賀越えの時に家康をサポートしたのは変装していた伊賀忍者だったと考えます。

天下分け目の関ケ原合戦で小早川秀明の寝返りを事前に策略していた徳川家康ならあり得ると思うのです。

明智光秀

ただ、秀吉の戻りが思った以上に早かったことが家康の誤算だったと思いますが。

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最後に

山崎の合戦で敗れ死んだのは光秀の影武者荒木山城守行信で、光秀は荒深小五郎と名前を変えていたという光秀生存説がありますが、江戸川乱歩の小説に登場する架空の私立探偵の明智小五郎はそこからとってるという説があるそうです。

「これも説かっ!」って感じですが、明智光秀にミステリーを大いに感じた作者がつけたのでしょう!

明智光秀、本能寺の変は江戸川乱歩も認めるゆびおりのミステリーってことですね、きっと。
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CY

1970年長崎県五島生まれ 現在、家族は妻、息子の2人 品川区在住、品川区勤務 好きな作家:池井戸潤、伊坂幸太郎、真山仁 好きなドラマ:救命病棟24時、医龍 好きな映画:グローリー 好きな女優:石田ゆり子、イングリッド・バーグマン 好きなスニーカーメーカー:PATRICK