2020年1月19日(日)にNHK大河ドラマ「麒麟がくる」がスタートします。
明智光秀は”三日天下”の由来でもあり、極悪人のレッテルを貼られてまま今に至りますが、今年の大河ドラマの主人公としてどのような明智光秀を長谷川博己さんを演じることになっているのか、非常に興味があります。
なぜなら、明智光秀は謎だらけの人物だからです。
2018年11月、dTVで、乃木坂46 随イチの歴女山崎怜奈さんが、歴史に関する著書を多数出版しており、NHK大河ドラマの監修も手がけている静岡大学名誉教授小和田(おわだ)哲男さんと既存の資料から新解釈を導く歴史作家橋場日月(あきら)さんを相手に真説・本能寺の変に迫っておりました。
歴女と言われるだけあって、多くの人が知りたいと思うところをピンポイントに、すばらしい質問をされておりましたので、「麒麟がくる」の初回放送がある前に、こちらを元に、明智光秀だけでなく織田信長、本能寺の変についての説についておさらいしておきましょう。
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目次
2020年大河ドラマ「麒麟がくる」で、明智光秀のイメージが変わる!
謎に包まれた明智光秀の素顔
出生などは謎
明智光秀はどこで生まれたのか、父親の名前もいくつかの説があり、生い立ちにも不明なため、謎だからこそ諸説があるのです。
どの方向から光を当てるかで違ってきます。
だから、今までのドラマ、時代小説、映画など作品によって光秀の描かれ方が全く違っているのです。
光秀の光の当て方の違いで、顕著なものが、肖像画と木像。
全然違います。
肖像画は理知的な感じで、塩顔男子という感じですが、木像は厳つく、怖いという感じ。

出典:dTV
小和田さんの光秀イメージは「教養人、インテリ」で、「信長からはかなり信頼されていた」と。

出典:dTV
一方、橋場さんは「当時の宣教師が光秀について、残酷で謀略を好むと書き残しているものがあるのですが、ダークな面も持ち合わせており、非常に野心家」というイメージを持っていました。
知的で優しいイメージ
山崎怜奈さんの「光秀は頭が切れるというイメージがあるがどういったことで」という質問に対し、橋場さんは「長篠の戦いの鉄砲戦術は光秀が考案したものと私は考えています」「光秀が鉄砲を多く活用したことが軍記物には多く出ており、細川藤孝(幽斎)や 筒井順慶が長篠の戦いに鉄砲を送り込んだのは光秀のアドバイスがあったのでは」「長篠の戦いの勝機を光秀が作ったと私は考えてる」ということ。

出典:dTV
山崎怜奈さんが「天下人への謀略である本能寺の変を成しえたのは、1万3,000の部下の兵が付いていったからで、」と言うと、
小和田さん「病気すれば見舞いはするし、戦いで死んだ人には供養米としてお寺に寄進したりと家臣に対してすごく優しかったので、信頼されており、1万3,000の兵が信長に対する裏切りということでも黙って付いてきたと思います」と。

出典:dTV
山崎怜奈さんが「人に愛され、人を引っぱっていくリーダーだったから成しえたことだったと思うので、教科書にはのっていないけど、光秀の人柄がちょっとでも伝われば」「すごく罪悪人に書かれてしまうので、もうちょっといい人なんだよ」と。彼女の優しい思いが言葉に詰まってました。
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織田信長は周りに恐れられていたが実はフェミニストでもあった
フェミニストな面
信長は怖い人だったということは間違いないのですが、逆に女心もわかる優しさもあったと。
家臣の浮気についてその奥方の相談にのってあげたり、明智光秀の妹と伝えられ、信長の秘書役を務めたとされる女性の御ツマキに対して全幅の信頼を置いていたということも、この時代にに女性もうまく活用することができる革新的なフェミニストだったと。
光秀との関係
そして、光秀は信長から最も信頼され、家臣の中でも出世頭だった。
信長は本願寺との長期間の戦の中での光秀の報告が具体的で素晴らしいということで、絶賛していたのだが、いつからか…
真説・本能寺の変
今現在で明智光秀が本能寺の変を起こし説は、細かく見た時は50ぐらいの説があるそうですが、大きく分けると4つの説。
①野望説 ②突発的な行動説 ③怨恨説 ④朝廷黒幕説
ですが、小和田さんはこの頃はじまった信長の暴走を止めようとした「信長の非道阻止説」を考えているということ。

出典:dTV
1582年に武田氏を滅ぼしたことで、信長が天狗になったと思われ、非道が光秀には目に余ったのでは。
信長より地位が上である公家の近衛前久を侮辱にしたり、武田勝頼の首を蹴飛ばしたりするようなことなど、信長の非道な振る舞いを止めようとしたのでは。
橋場さんは光秀は秀吉との「出世争いに敗れ、全てをリセットしようとし、暴挙に出た」と考えているということ。
新参ながら出世レースを繰り広げたのが明智光秀と羽柴秀吉の両者は織田家宿老の地位を得て、それぞれ築いた派閥を基に、信長の目指した天下統一のために奔走していました。

出典:dTV
信長は光秀、秀吉を一緒に出世させて、光秀は四国ルート、秀吉は中国地方ルートで海外貿易の利権を得るために九州攻略までを競わせていたのですが。
信長は光秀に備中高松の水攻めの応援に行くように命令します。このことは光秀に秀吉の下に付くということ、競争に負けたことを意味していました。
藤田達生さん著の「明智光秀伝: 本能寺の変に至る派閥力学」で以下のように書かれています。橋場さんの考えと近いですよね。
転機となったのは、対毛利氏政策。光秀主導の「対毛利和平交渉」が秀吉の巻き返しで方向転換。光秀にとっては「信長の裏切り」だった。さらに、四国の長宗我部氏を巡っても、信長は光秀の面子を潰す政策に転換する。一度ならず二度までも「信長の裏切り」に遭遇する光秀に、追い打ちをかけるように「遠国左遷」の情報が。
信長の承認のもとに積み上げてきた業績を2度にわたって反故にされた無念。死中の光秀は、生き残りをかけて、室町幕府再興にその突破口を見出す。
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明智光秀が天下を穫れなかった理由
信長の首がなかったことで、朝廷や大名を味方にできなかったことではないかと。
逆に、秀吉は首がなかったことをうまく利用したのです。中川清秀宛てに送った手紙には、「まだ信長様は生きているので、一緒に光秀を討とう」と。
そして、橋場さんは山崎の合戦で秀吉に敗れた原因として、「合戦当日の雨によって鉄砲の威力が激減したことが大きい」と。
秀吉は気象予報士を連れており、雨の日に戦えたことは好都合だったのです。備中高松の水攻めといい6月という梅雨の時期で天気や風を味方にした赤壁の戦いの諸葛孔明みたいです。時の運というものかもしれませんね。
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最後に
明智光秀は山科で落ち武者狩りにあって殺され、一生を終えます。
羽柴(豊臣)秀吉に敗れた後、光秀に有利な書物は書き換えられ、徳川の時代、江戸幕府の大政奉還後の明治時代は織田信長が勤王家として称賛されたので、明智光秀は近年まで罪悪人のイメージしかなかったのです。
しかし、現代の人たちは明智光秀のような人の方が今の世の中には大事な人だと、認めはじめたんだと思います。

出典:NHK
山崎さんの「人に愛され、人を引っぱっていくリーダーだったから成しえたことだったと思うので、教科書にはのっていないけど、光秀の人柄がちょっとでも伝われば、すごく罪悪人に書かれてしまうので、もうちょっといい人なんだよ」という言葉がそう言っているように思います。
こういった流れ(アニメやゲームのかっこいい役で光秀が取り上げられたり、歴女出てきたり)もあり、今回の大河ドラマ「麒麟がくる」では明智光秀のイメージがガラリと変わるはずです!
また、ずるくてもうまくやる人が成功する世の中になって、歴史もそれだけを認めることではいけないというメッセージが彼女たちの言葉には隠されているような気がします。
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