ドラマ「太陽の子」で若者の苦悩と葛藤を描く。一方原子爆弾を開発した(米、マンハッタン計画)科学者は?

アメリカ人の日本への原爆投下の真否

2020年8月15日、NHK「太陽の子」が編集なしで放送されます。

第2次世界大戦末期に新型爆弾の開発を命じられた研究者ら若者たちの姿を、史実をもとに描かれたドラマです。

科学者たちの苦悩と葛藤

出典:NHK

このドラマでは、研究者ら若者たちが日本を救うため研究を進める一方で、科学者として人類の破滅を招きかねない兵器開発をすすめるべきなのか苦悩と葛藤も描いてます。

トリニティ実験

出典:NHK

一方で実際に、広島・長崎に投下した原爆を開発したアメリカのマンハッタン計画の科学者や技術者達はどのような気持ちで研究したのか?

その後彼らがどのような罪と罰を背負った番組があります。

フランケンシュタインの誘惑E+「原爆誕生 科学者たちの罪と罰」を紹介します。

“原爆の父”オッペンハイマーは原爆投下2年後「物理学者は罪を知った」と。

「フランケンシュタインの誘惑E+」”原爆誕生 科学者たちの罪と罰”

ナチスへの脅威からはじまる

開発費20億ドル、科学者や技術者の動員数12万人以上の超巨大プロジェクトは、実はナチスの核兵器開発がアメリカより先行しているという恐怖からはじまったのです。

1938年、ドイツで核分裂反応が発見されます。原子核が分裂するときに莫大なエネルギーを発生する反応。

もしこの核分裂を連鎖的に発生させれば、恐るべき新型爆弾が実現可能となる。当時のドイツはナチス政権下であり、新型爆弾を開発する恐れがあったのです。

 

原爆開発に突き進んだ科学者たち

ナチスの迫害を逃れて米国に移っていたアインシュタインをはじめとする優秀な科学者たちが、ナチスより先に原爆を作らなければいけないとルーズベルト大統領に進言し、米国の原爆製造計画である「マンハッタン計画」が始まりました。

1942年8月、司令部はニューヨーク・マンハッタン島におかれました。

科学部門のリーダーには理論物理学者ロバート・オッペンハイマーが選ばれます。

ロスアラモス研究所

出典:NHK

まず、オッペンハイマーは研究拠点を人里離れたニューメキシコ州ロスアラモスに置くことを決めます。

続けて当代一流の頭脳、エンリコ・フェルミ(ノーベル賞受賞)、ハンス・ベーテ(後にノーベル賞受賞)、フォン・ノイマン(戦後コンピュータの基礎を創る)といったビッグネームを呼び集めました。

そして、その一流の頭脳に引かれて、多くの科学者たちが計画に参加を希望するようになります。

 

機密情報漏洩を厳しく防ごうとする陸軍と交渉し、科学者たちの研究エリアに憲兵を立ち入らせないようにしました。

核反応を起こす核物質の第一候補は濃縮ウランで、二つに分けた濃縮ウランを高速で衝突させれば核反応が起きます。

しかし、濃縮ウランは製造に手間と時間と費用がかかりました。一方、プルトニウムは簡単に入手できたが、核分裂を起こすことがウランより難しかったのです。

無我夢中で働いて考えることを忘れた

出典:NHK

核反応を起こすには、プルトニウムを火薬で包み込み、火薬を爆発させプルトニウムを圧縮する「爆縮」を行う必要があったのだが、上手く爆縮を起こすには、32個に分けた火薬を最大100万分の2秒の誤差という精密さで同時に爆発させる必要があり、とてつもなく高い壁を超えるために、科学者たちは無我夢中で考えることを忘れて、思考停止していたということでした。

自らが暴走していることに気付かなかったのです。

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原爆誕生、その時科学者は

1944年6月ノルマンディー上陸作戦以降、欧州で連合軍の大反攻が開始され、ドイツの敗北は確実となったのです。

やがて、ドイツは原爆を開発していなかったことが明らかとなります。その時アメリカの原爆開発の大義名分は失われました。

しかし、オッペンハイマーは”原爆が世界平和に貢献する”ということ主張し、部下科学者たちを一人残らず納得させたのです。

1945年5月、ドイツが降伏すると、今度は科学者たちは原爆を日本に使うかどうかで二派に分かれました。反対派は、既に空襲で大被害を受けている日本に投下する意味は無く、砂漠か無人島でデモンストレーションをすればいいと主張、賛成派は、日本の指導者はデモンストレーションなど信じないと考え、またアメリカ兵の犠牲を減らすため投入すべきだと。

そして最終的に科学者たちは原爆の日本への投下を賛成しました。

 

1945年7月16日、ニューメキシコの砂漠で史上初の原爆実験「トリニティー実験」が実施され、大成功。

トリニティー実験後に科学者に言われたこと

出典:NHK

その三週間後の8月6日に広島にウラン型原爆リトルボーイが、9日にはプルトニウム型原爆ファットマンが、それぞれ投下されたのです。

 

原爆の破壊力を誰よりも知りながら、オッペンハイマーたち科学者は、原爆投下の阻止に最後まで動こうとしなかったのです。

科学者たちの罪と罰

1945年8月、日本が降伏すると、原爆開発の父オッペンハイマーは戦争を終わらせた国民的英雄となります。

プリンストン高等研究所所長

出典:NHK

そしてその後、科学者として名声を確立、また原子力政策に関わり政治面でも力を発揮します。

しかしオッペンハイマーは核兵器は国際的に管理するべきと考えていたが、1948年にはソ連が原爆を開発、それに対抗して1952年にはアメリカは水素爆弾を開発。

オッペンハイマーはそういった流れに反発し政府を批判したため、1953年にスパイ容疑で公職から追放。

広島・長崎に原爆投下に持って行ったリーダーが、今までの自分のしたことは置いといて、自己顕示欲や名声のために水爆より原爆の方が小型化いできターゲットを絞れば民間人を犠牲にしなくて済むと主張したり、政府の核開発競争を批判したりしたのでから、裏切っているのはオッペンハイマーだったのではないかと。

その後オッペンハイマーは世間から忘れ去られていき、1967年に62歳で亡くなりました。

 

ドイツ降伏の時点でただ一人ロスアラモスを去ったジョセフ・ロートブラットは、その後核兵器廃絶を訴えるパグウォッシュ会議の創設者となり、初代事務局長を務め、ノーベル平和賞を受賞したのです。

 

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「太陽の子」

第二次世界大戦末期、京都大学の物理学研究室に海軍から下された密命は、核分裂のエネルギーを使った新型爆弾を作ること。

日本を救うため研究を進める一方で、科学者として兵器開発をすすめるべきなのか苦悩する研究者たち。

研究好きの石村 修(柳楽優弥)は、純粋に実験に取り組もうとするが、時代の波に翻弄されていく。

弟の裕之(三浦春馬)もまた、戦争の真実に向き合わざるを得ない。

そして、兄弟が秘かに想おもいを寄せる朝倉世津(有村架純)は未来を語ろうとするが…。

史実をもとに描く、若者たちの戦争の悲劇の物語。

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太平洋戦争末期、京都帝国大学の物理学研究室で原子の核分裂について研究している石村修(柳楽優弥)は、海軍から命じられた核エネルギーを使った新型爆弾開発のための実験を続けていた。

空襲の被害を防ぐための建物疎開で家を失った幼なじみの朝倉世津(有村架純)が、修の家に居候することになる。そこに修の弟の裕之(三浦春馬)が戦地から一時帰宅し、久しぶりの再会を喜ぶ。

爆弾開発の実験がなかなか進まないなか、研究室のメンバーは研究を続けていく事に疑問を持ち始める。

そして、裕之が再び戦地へ行くことになったやさき、広島に原子爆弾が落とされたという知らせが届く。研究者たちは広島に向かい、そこで焼け野原になった広島の姿を目撃するのだった。

引用:NHK_PR

史実としては海軍の依頼で荒勝氏を中心に進めていた原爆研究原爆開発プロジェクト(F研究)原料不足などから基礎的な研究にとどまり、製造段階には程遠かったとされています。

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最後に

オッペンハイマーについて、全ての科学者が口をそろえて言うのは「彼のリーダーシップがなければ、1945年の夏に原爆は出来上がってなかっただろう」ということです。
が、そのオッペンハイマーが広島・長崎に原爆投下した2年後「物理学者は罪を知った」と。

1965年ノーベル物理学賞を授与した朝永振一郎さんは「科学者の任務は法則の発見で終わらず、その善悪両方の影響を人々に知らせ誤った使われ方を防ぐことに努めなければならない」と科学者の責任を述べてますが、その時にオッペンハイマーはその責任から逃げた罪をやっとにんしきできたのかもしれません。

一時の正義感、使命感、そして達成感、その後の自己顕示欲、名声欲などが、自我を支配していき、その後自分では制御できないところまで陥ることは科学者だけではないはずです。

アメリカ人の日本への原爆投下の真否

出典:NHK

終戦70年目にアメリカで行われた世論調査では、アメリカ人の56%が日本への原爆投下は正しかったと答えています。

でも、そんなものかもしれません。人間は自分や自分の身の回りに何も悪いことが起こらなければいいのですから。

また、オッペンハイマーに反対できず、日本に原爆投下した科学者の罪は日本が戦争をはじめることを反対できなかった民間の日本人にも罪があるということになるのかもしれません。

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1970年長崎県五島生まれ 現在、家族は妻、息子の2人 品川区在住、品川区勤務 好きな作家:池井戸潤、伊坂幸太郎、真山仁 好きなドラマ:救命病棟24時、医龍 好きな映画:グローリー 好きな女優:石田ゆり子、イングリッド・バーグマン 好きなスニーカーメーカー:PATRICK