2018年9月8日の「諸説あり!」は”江戸城無血開城の真実”でした。
江戸無血開城の通説は勝海舟と西郷隆盛が2度会談で、新政府軍の総攻撃が中止されたということで、勝海舟の交渉術が素晴らしかったとなってます。

また、NHK大河ドラマ「篤姫」では、勝に養父斉彬の書状を持たせて西郷の心を動かし、遂に江戸城無血開城へと導いたということでした。
今回の「諸説あり!」の放送では山岡鉄舟がクローズアップされてます。
ちょうど、来週9月23日のNHK大河ドラマ「せごどん」も西郷吉之助は鳥羽伏見の戦いに挑み、その後、さらに幕臣である山岡鉄舟との出会いがあります。
鉄舟は吉之助が「生命もいらぬ、名もいらぬ、金もいらぬ、といったような始末に困る人ですが、但しあんな始末に困る人ならでは、お互いに腹を開けて、共に天下の大事を誓い合うわけには参りません。 本当に無我無私の忠胆なる人とは、山岡さんの如き人でしょう。」と残しているほどの人物です。
ノーマークでした。来週からお会いできるんですね✨ #西郷どん#山岡鉄舟 pic.twitter.com/4d4VPX0RlU
— せごどん (@segodon2018) 2018年9月16日
「諸説あり!」の江戸城無血開城の真実をご紹介します。
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江戸城無血開城の諸説
せごどんは軍資金不足で江戸城無血開城したかった
慶応3年(1867年)10月、大政奉還が行われました。
大政奉還されても日本の領地のほとんどは幕府や諸藩が持ち続けており、新政府の財政基礎は3万石にすぎなかった。政治を動かすどころか天皇や公家の生活費だけで精いっぱいでした。
岩倉具視と薩長は政治的な工作は完ぺきでしたが、経済的には全く無計画で軍資金の調達ができていなかったそうです。
慶喜が江戸に逃走したことで、ますます首が絞まります。官軍の兵士は今までの武士と違い農民出身の者が多く、およそ1万人全員に給料の支給や食事、武器など配給が必要で、進軍して江戸で幕府と戦うのに300万両(約3,000億円)が必要でした。
また、そうすると、江戸が壊滅した場合、新政府は江戸を復興させる力はなかったのではないかと考えるのが普通です。
舟は舟でも勝海舟ではなく山岡鉄舟
幕府軍征伐を開始した官軍は慶応4年(1868年)3月5日駿府(静岡県)に到着し、3月15日をもって江戸に総攻撃するという命令が下されましたが、駿府城をくまなく探しても1700両(2億円強)しかなかったのです。
そこに駿府に幕臣の山岡鉄舟が江戸城の開城を申し入れてきたのです。
私は主人慶喜に代って、慶喜の本心を礼を厚うして言上したのです。先生がもしこの慶喜の心をお受け下さらぬなら、致し方ございません、私は死ぬだけです。
そうなると、いかに徳川家が衰えたりとはいえ、旗本八万騎の中で決死の士はただ鉄太郎一人のみではござらぬ。そうなれば一徳川家のみでなく、日本の将来はどうなりましょうか。
それでも先生は進撃なさるおつもりでござるか。
それならもはや王師とは申せません。謹んでおもうに、天子は民の父母です。理非を明らかにし、不逞を討ってこそ王師と申せますが、ひたすら謹慎して朝命に背かぬことを誓う臣下に対し、何ら寛大の御処分がないのみならず、あえてこれを討伐するなら、天下これより大乱となること、火を見るより明らかでござる。お願い申し上げます。
どうかその辺の事情をご推量下さい。
引用:生き生き教育より
西郷は慶喜助命のため7項目の条件を示した。
1、徳川慶喜の身柄を備前藩に預けること。
2、江戸城を明け渡すこと。
3、軍艦をすべて引き渡すこと。
4、武器をすべて引き渡すこと。
5、城内の家臣は向島に移って謹慎すること。
6、徳川慶喜の暴挙を補佐した人物を厳しく調査し、処罰すること。
7、暴発の徒が手に余る場合、官軍が鎮圧すること。
1888年 #7月19日 #山岡鉄舟 没 #伊庭八郎 と最強を競った一刀流剣豪で剣友 #清河八郎 の浪士組に与し新徴組取締役を拝命。清河暗殺で失脚するも幕末精鋭隊の将校に任じ #勝海舟 の密書を携え官軍迫る東海道を潜行,駿府で #西郷隆盛 に会い江戸無血開城への案内役を果しました⇒https://t.co/70YXC20k6F pic.twitter.com/odoyExTDLV
— 愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ (@History_JP_5963) 2018年7月19日
鉄舟は1項目の徳川慶喜の身柄を備前藩に預けることだけは承服しませんでした。
鉄舟、「主人慶喜を備前池田家に預けるという箇条です。これは決してできないことです。それでなければだめだというのであれば、徳川恩顧の家臣たちが決して承知しないでしょう。結局のところ戦端を開くことになり、むなしく多くの命が奪われることになりましょう。これが天皇の軍隊のすることでしょうか。さしずめ西郷先生はただの人殺しです。ですので私はこの箇条は決して肯定できないのです」。
西郷は「朝命です」と一言。
鉄舟、「そうであるならば、先生と私とその立場を交換してしばらく論じましょう。すなわち先生の主人である島津茂久公が、万が一朝敵の汚名を受けて、官軍に征討される日になり、恭順謹慎を言上するために、先生が今の私の任を行うにあたって、主家のために尽力することになり、私の主人慶喜に対するような朝命、つまり岡山池田家など他家お預けという朝命があった場合、先生はその朝命を奉じて、すみやかに主人を差し出し安閑として傍観することができますか。先生の正義のなかには君臣の情というのは、ないのでしょうか。この点において私は決して耐えることができないのです」と
西郷はしばらく黙然として「確かにその通りです。それならば慶喜殿のことは、この西郷がきっと引き受けて取り計らいましょう。先生が決して心配することがないようにお誓い申し上げます」と誓約したのである。
引用:ironnaより
ということで、勝海舟より前に山岡鉄舟と西郷隆盛の会談で江戸無血開城は決まっていたのです。
江戸城総攻撃を中止することで、せごどん(新政府軍)は江戸が壊滅しなかったことだけではなく、実は軍資金の面でも、鉄舟に助けられたと言えるでしょう。
1888年 #7月19日 #山岡鉄舟 没 #伊庭八郎 と最強を競った一刀流剣豪で剣友 #清河八郎 の浪士組に与し新徴組取締役を拝命。清河暗殺で失脚するも幕末精鋭隊の将校に任じ #勝海舟 の密書を携え官軍迫る東海道を潜行,駿府で #西郷隆盛 に会い江戸無血開城への案内役を果しました⇒https://t.co/70YXC20k6F pic.twitter.com/odoyExTDLV
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ということは、徳川慶喜も鉄舟に助けられた一人かもしれませんね。
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最後に
この「諸説あり!」では”江戸江戸城無血開城によって徳川幕府を終わらせたのは、徳川だった”ということで尾張徳川慶勝を江戸城無血開城のもう一人の功労者としてあげてます。
尾張藩第14代藩主徳川慶勝は德川の息のかかった人たちに、明治新政府につくように誓わせた誓約書が749通が発見されました。
慶勝は、御三家筆頭の立場にありながら、徳川家の保身より虎視眈々と狙っている諸外国から日本はを守るため、日本が一つにならなければ、諸外国の餌食になってしまうと、幕府の息の根を止めた人物なのです。
江戸城は新政府軍に明け渡されたとばかりに思っていたのですが、実は受け取ったのは尾張藩だったので無血だったのです。
せごどんではあまりかっこよくなかった感じでしたが。。。
『西郷どん』慶勝さん登場!!
海津市歴史民族資料館でみかけた徳川慶勝さんは高須四兄弟の一番右のかたです。#大河ドラマ #西郷どん #徳川慶勝 #高須四兄弟 #海津市歴史民族資料館 #海津市 #岐阜県 pic.twitter.com/I9EfSkjKPw— あんみつ姫 (@hanako_morie) 2018年7月29日
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