2019年5月14日(火)のNHK BSの「BS世界のドキュメンタリー」で”ヒトラー最期の謎”とが放送されていました。
1945年4月のベルリン陥落の際に命を絶ったとされるヒトラーですが、遺体が残ってないのです。ナチス政権の幹部(ゲーリング、ヒムラー、ゲッベルス)は自殺や殺害によって命を落とし、その遺体ははあるのですが…
2000年4月にロシアがナチスドイツに関する展覧会を開きモスクワに海外メディアを招き、機密資料が初めて公開されたのです。
その中にロシア当局がヒトラーのものとする頭蓋骨の断片とヒトラー歯とみなされる写真パネルが。
しかし、本物かどうか、謎は残っていました。
ヒトラーの最期のときの真相をつかもうと、法医学者(フィリップ・シャルリエ)からなるフランス取材班が、遺骨を保管しているとされるモスクワに入り、調査を実施したドキュメンタリーです。
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ヒトラーの最期の確認
頭蓋骨の閲覧
半世紀以上絶って、ロシアは沈黙を破り貴重な戦利品の公開に踏み切ったのですが、一方世界中の専門家の間ではその真偽をめぐる論争が起こりました。
2009年アメリカの考古学者がこの頭蓋骨を分析したところヒトラーのものではなく、40歳以下の女性と発表。世界中を駆け巡りました。
ロシア側はその考古学者に調査の許可をだしていないということでしたが、疑いは深まるばかりした。
フランスの法医学フィリップ・シャルリエは目的の頭蓋骨のあるロシア連邦公文書館に1年間手続き等に時間をかけて入ることができました。
シャルリエは連邦公文書館職員の調査への不快感の中、写真に目を通し、作業の前にできるだけ多くの情報をインプットします。
親衛隊ハインツ・リンゲは「ヒトラーは生きて捕まるより、自殺して焼かれることを望んだ」と尋問で証言しました。
1945年4月30日の午後3時頃、ヒトラーとエバ・ブラウンは小部屋に閉じこもり、リンゲは廊下に待機していました。
火薬のにおいがしたので、中に入ったそうです。「ヒトラーは長いすに倒れ、片手は垂れ下がっていました。こめかみには大きな銃弾の後。大量の血が流れ、壁にも飛び散っていました」と証言が残っていました。
シャルリエが頭蓋骨の入ったフロッピーディスクのケースを触ろうとすると、連邦公文書館職員から勝手に触らないと注意があり、そしてケースを開けて中の頭蓋骨を取り出して裏を見ることをはNGということになりました。
フロッピーディスクのケースから取り出せない鑑定は厳しく、タイムリミットの3時間を35分オーバーで終了を告げられました。
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歯の閲覧
FSB(連邦保安局)本部、ルビャンカ(かつてはKGBの本社があったところ)内での歯の鑑定が許可されました。
頭蓋骨の時と違い、汚染しないように新しい殺菌済みの手袋をはめ、顕微鏡で観察することが許されました。
数多くの遺体を調べてきたシャルリエでも初めて見た義歯で、本人の骨格に合わせ、その後の変化まで見越して作られています。オーダーメイドです。
スターリンの部下たちも、この歯がヒトラーのものであることを確かめようとして、ヒトラーの専属歯科医師の助手ケーテ・ホイザーマンと義歯を作成したフリッツ・エヒトマンに記録を提出させ、尋問しました。
記録と証言はこの歯がはヒトラーの歯の特徴と一致するということでした。
1945年、ヒトラーは56歳でしたが、歯はまるで老人のようなものでした。歯周病で残った歯5本だけ。
ヒトラーは第一次世界大戦で毒ガスを浴び、その影響で特殊な食事療法が必要となり、厳格なベジタリアンになったのです。(ハンス・バウアの供述)
ヒトラーは妻と自殺し、遺体は地下壕の外で焼かれたと、リンゲやギュンシェとバウアは同じ供述内容でした。
炎と接触したところを観察してみると、完全に炭化しており、かなりの高温にさらされたことがわかります。
次に、ねつ造の有無を確認するために、この義歯が実際に使われた形跡があるかを調べました。
義歯表面のキズ、石灰化した沈着物、歯石からねつ造はされてないことがわかりました。
頭蓋骨の調査は完ぺきとは言えませんでしたが、歯の調査はかつてないほど詳細に行うことができました。
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最後に
ヒトラーの顔と確認されているレントゲン写真と自分で撮影した義歯の写真を照合し、形状・寸法・角度から完全に同じものだということが分かります。
ダメ押しで、シャルリエはモスクワから歯の小さな欠片を持ち帰ってましたので、ロシア当局に反対はしないという回答をもらい、科学分析をしました。
この義歯がねつ造されていないことと実際に使われていたことを科学的に証明でき、ヒトラーの歯ということを解明できたのです。
頭蓋骨には疑問が残りますが、1945年以降ずっとアメリカのレントゲンとロシアの歯の口裏合わせがあることは考えられない(米ソ冷戦)ので、モスクワに保管されている歯はヒトラーのものと断言できるでしょう。
科学的根拠ない反対意見はあるみたいですが、このことから、1945年4月30日の午後3時頃にアドルフ・ヒトラーは自殺したことになるでしょう。
しかし、頭蓋骨の調査に関してはあまり協力的ではなく、歯の調査への協力的なところから、ロシア当局が企んで、狙い通りの結果にしたようなドキュメントにも少し感じられますが。。。
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