オリンピック作戦をやられてたら、日本は壊滅していたに違いない!【前編】

オリンピック作戦

2020年8月15日、NHK BS1スペシャル「果てなき殲(せん)滅戦~日本本土 上陸作戦に迫る~」が放送されていました。

語りは大竹しのぶさん。

75年前、九州は無残な殺りくの戦場となろうとしていた。

昭和20年の夏、アメリカ軍は沖縄戦後「オリンピック作戦」と名付けられた九州南部上陸作戦を進行。上陸する兵士は史上最大規模の76万人が想定されていた。

今回オリンピック作戦の詳細を取材すると驚愕の作戦が次々と立案・遂行されようとしていたことが明らかに。

背景には日米双方の敵国へのぬぐえない恐怖と憎悪があった。

未完のせん滅戦の全貌に迫る。

出典:NHK

もし、11月まで戦争が続いていたら、九州に76万人のアメリカ兵士が上陸していたかも、また、その前の10月に原子爆弾がもう3発投下されたかもしれなかったのです。

1945年8月15日に日本が無条件降伏をしていなかったらどうなっただろうかに迫るドキュメンタリー番組で心に訴えてくる内容でしたので、紹介します。

この記事は前編です。後編は「オリンピック作戦をやられてたら、日本は壊滅していたに違いない!【後編】」を。

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日本本土上陸作戦に迫る【前編】

上陸作戦の序章

アメリカ軍は壮大な作戦のために小さな町を徹底的に破壊したのです。

1944年7月米軍、絶対国防圏突破

出典:NHK

1944年7月、サイパンが陥落し、絶対国防圏を突破され敗色濃厚となっていました。

しかし、軍部は天皇を中心とした国体護持を掲げ徹底抗戦の構えを崩しませんでした。

一般市民をも動員し最後の一人まで戦いぬく”一億玉砕”方針を貫こうとしていました。

降伏の意志を見せない日本に対し、連合軍はさらなる進軍を続けます。

1945年6月連合国軍が沖縄を制圧し、その次の標的が九州南部。

「オリンピック作戦」という上陸作戦です。

鹿児島や宮崎の海岸に上陸し、巨大な飛行場を建設し、ここを拠点として首都東京に圧力をかけ、日本を無条件降伏に追い込む作戦でした。

出典:NHK

決行は1945年11月1日、九州の日本軍兵力を35万と見積り、確実に上陸を果たすため、2倍以上の76万人の兵力を投入する予定でした。

トルーマン大統領の元、作戦を推進したのは陸軍参謀総長のジョージ・マーシャル、上陸作戦を指揮するのは太平洋陸軍総司令官のダグラス・マッカーサーでした。

日本人は降伏せず、抵抗を続けると考えられていたので、アメリカ軍は降伏しない敵に対しさらなる圧力をかけるしかないと考えたのです。

世相を一刻も早く終わらせるためには、日本本土を侵略するしかなかったと。

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空襲に秘められた”米軍の戦略”

上陸作戦の前に行われた空襲にはアメリカ軍の戦略が見えてきます。

九州に投下された爆弾量

出典:NHK

データを集積すると、鹿児島に投下された爆弾量がほかの県に比べ突出していることがわかりました。

上陸を準備する舞台は徹底した破壊が課題になるので、オリンピック作戦の基本は南九州制圧が目標なので、必然的に鹿児島の投下弾量が増えたということ。

当時鹿児島には特攻基地など軍事施設が数多くあり、そうした施設をしらみつぶしに破壊しようとしたのです。

輸送網を断ち切る

出典:NHK

列車・鉄橋・駅などを標的とし、輸送網を断ち切り、九州南部の戦力の弱体化を狙ったのです。

そして、空襲は小さな山村・漁村にまで及ぶようになったのです。

上陸時、米軍の犠牲を減らすという名目のために数多くの一般市民が犠牲となったのです。

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日本軍がゲリラ戦で応戦するための地下壕

オリンピック作戦に着々と準備を進めるアメリカ軍

鹿児島県志布志市には日本軍が敵の上陸に備えた痕跡が

地下壕

出典:NHK

地下壕に立てこもりゲリラ戦を展開しようとしていました。

九州南部に2,375か所の地下壕が建設されていたのです。

日本軍の防衛作戦も11月1日の上陸を想定しており、突貫工事で陣地づくりがされたのです。

米軍の沖縄上陸

出典:NHK

地下壕が作られた背景には沖縄の戦いがありました。

地下壕でゲリラ戦を展開した日本軍はアメリカ軍を最後まで苦しめ続けたのです。

日本兵は地下壕の奥に立てこもり、こちらの攻撃が休止すると、無数に出てきて、すかさず反撃に転ずる。

アメリカ兵の遺体

出典:NHK

戦闘が続くうちに、ひとつまたひとつとアメリカ兵の遺体が増えていく。

あの戦争は”狂気”そのものだった。

引用:ペリリュー・沖縄戦記

 

米軍の死傷者約5万人

出典:NHK

アメリカ軍の死傷者はおよそ5万人にのぼりました。

沖縄戦の実績を元に、日本軍は町の青年たちまで動員し、地下壕の建設を急ぎました。

志布志市の地下壕

出典:NHK

志布志市の地下壕の全長は16Kmにも及びました。

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前編の最後に

一方のアメリカ軍も1945年5月に”地下壕戦略”としてスフィンクスプロジェクトを開始します。

地下壕攻略のプロジェクト開始

出典:NHK

この続きは後編に記します。

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CY

1970年長崎県五島生まれ 現在、家族は妻、息子の2人 品川区在住、品川区勤務 好きな作家:池井戸潤、伊坂幸太郎、真山仁 好きなドラマ:救命病棟24時、医龍 好きな映画:グローリー 好きな女優:石田ゆり子、イングリッド・バーグマン 好きなスニーカーメーカー:PATRICK