2021年2月7日(日)NHK大河ドラマ「麒麟がくる」はの最終回は15分拡大で放送されます。

出典:NHK
先週、長谷川博巳さん演じる光秀のここまで怒りに満ちたすさまじい顔を初めてみて鳥肌が立つほどの思いでした。

出典:フジテレビ
2020年大河ドラマ「麒麟がくる」は、2020年4月30日(月)に放送された「所JPAN」の”明智光秀はなぜ信長を裏切った?最新古文書から本能寺の変(秘)新事実”で放送された歴史学者磯田道史先生の古文書から推測する説と遠からず近い作品になっており、本能寺の変の有力説の背景にはドロドロした人間関係があったことが。
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目次
歴史学者磯田道史さんが光秀の裏切り(?)の真相に迫って推測した説に納得!
本能寺の変の1年前までは互いに信頼し合う上司と部下だった
織田信長と明智光秀は本能寺の変直前まで互いに信頼し合う関係としか残された史料からは見えて来ないのです。

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織田信長は「光秀の働きは天下に面目を示した!その次が秀吉である(信長公記)」と光秀の働きを認め、

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一方、明智光秀は「瓦礫のようだった私をすくいあげてくれた信長様には莫大な恩義があり(明智光秀家中軍法)」と、本能寺の変のちょうど1年前1581年6月2日に全軍の掟に書いていたのです。
ということは、その後の1年間でこの信頼関係が激変することがあったということなのです。

出典:フジテレビ
実は、宣教師ルイス・フロイトの記録では本能寺の変の直前に信長と光秀が激しい口論が起きているということ。
光秀は信長に反論し、逆上しやすい信長は怒って、光秀を3回足蹴にしたということです。
磯田先生「(フロイトは、)日本国内の人と違ってタブーがないんで、なんでも書いている」と。
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織田信長に仕える前の光秀は医療の知識で活躍していたことが近年わかった
明智光秀は織田信長に仕えるまでの記録はほとんどなく、どこで生まれ、何をしていたのか約40年が謎でした。

出典:フジテレビ
しかし近年、若き日の光秀の姿を伝える古文書「針薬方」が見つかったのです。

出典:フジテレビ
1566年(永禄9年)に明智十兵衛こと光秀が高嶋田中城に籠城とあり、当時30代後半だったと思われる光秀が滋賀県で将軍を守るために三好家と戦っていたことが伺えます。

出典:フジテレビ
光秀は足軽だったにもかかわらず記録に残っていたのにはある理由があるのです。
「針薬方」によると光秀はケガの処置、薬の作り方など、当時の医術の知識がまとめられており、その方法を光秀が田中城で口伝しており、活躍していたということなのです。

出典:フジテレビ
最近までこの事実が知られてなかったのは、別の文書の裏側に書かれていたからなのです。
光秀の田中城での活躍は「大河ドラマ「麒麟がくる」主人公明智光秀は足利義昭や織田信長に仕える前は外科・産婦人科の医師だった!」にて詳しく記事にしています。よろしければ。
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光秀の因縁の一族は三好家!
三好一族は四国・徳島県を治めていた豪族で、室町幕府を追い込み織田信長よりも先に京都へ勢力を伸ばしていたのです。

出典:フジテレビ
この光秀が田中城で戦った三好一族が本能寺の変の直前に光秀が主君信長の口論に関係すると磯田先生は推理したのです。
その説は近年有力な本能寺の変の四国説に関連しています。
本能寺の変は現在四国説が有力
長船(おさふね)光忠作「太刀 銘 光忠」
磯田先生、本能寺の変の原因を探るために、次の古文書のある岡山に。

出典:フジテレビ
近年、岡山県岡山市の林原美術館で見つかった古文書「石谷家文書」に四国説を裏付ける生々しい遣り取りが記載されていたのです。

出典:フジテレビ
磯田先生、古文書を見る前に、鎌倉時代の名工長船(おさふね)光忠作「太刀 銘 光忠」(重要文化財)を見せられることになります。
なぜか、三好一族に関わるからなのです。
実は、信長が「太刀 銘 光忠」に惚れ込むきっかけは、三好家のもつ室町幕府遺産のすごさ。この遺産に心を奪われたからだったのです。
このことによって信長の四国外交方針の方向転換にも影響を与えていて、光秀に本能寺で討たれる一つのきっかけになったのではないかと磯田先生。
そうとしか考えられない史料が近年発見された「石谷家文書」なのです。
本能寺の変の四国説とは
東日本を制した信長は西日本統一に乗りだし、四国統一の責任者に光秀を任命。

出典:フジテレビ
光秀は長年の宿敵三好家を追い詰めようと、高知の長曾我部元親と(光秀の家臣で元親と縁戚関係の斎藤利三の働きで)同盟を組み三好を攻めさせます。
当初は光秀の思惑通り、長曾我部が優勢だったのですが、思いもよらない事態に。

出典:フジテレビ
刀が影響したのか?信長は三好家に急接触しはじめるのです。
信長は光秀に対して四国の領地を三好に分けるように命令しました。
光秀にとってあまりにも理不尽な命令。
しかも、信長は長曾我部を滅ぼそうと攻撃しようと考えていたのです。
長曾我部元親は信長のご朱印に記載の(三好への)領地分けも受けることにしますが、信長は止まりませんでした。
信長と長曾我部元親の板挟み状態になった光秀。

出典:フジテレビ
信長が認めていたことを覆したので、光秀は長曾我部を弁護せざるを得ない状況になり、信長と反論するまでに至ったのではないかと。

出典:フジテレビ
そして、光秀は信長が四国攻めを決行するその日に本能寺の変を起こしたということが四国説なのです。
この四国説、2020年1月1日にNHKで放送された「本能寺の変サミット2020」でも歴史学者の先生たちが有力視する説でした。「明智光秀は怨恨ではなく、信長の構造改革に反発、暴走阻止延長線上の四国征伐起点での本能寺の変が最有力」で記事にしています。
信長は刀だけでなく、

出典:フジテレビ
三好一族の大阪湾の制海権がほしかったということもあり、長曾我部より三好家の方がメリットがあると考えたこともあるのです。
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磯田先生、四国説を超える背景となる新事実を発見
磯田先生、四国説が有力なのは間違いないが、それだけではないと。
なぜなら、信長と光秀の信頼関係を引き裂くの背景となる新事実を見つけたからです。

出典:フジテレビ
信長と光秀の間を引き裂く何か(黒幕?)があったということなのです。

出典:フジテレビ
本能寺の変が起きて半年後の(光秀と親しかった)公家近衛前久書状には、佞人という言葉が記されていた。佞人とは口先巧みにへつらう心のよこしまな人のことです。
四国問題の最中に、信長に忍び寄る怪しい影が存在したと考えられるということ。
四国を信長が攻めるか、四国を三好にやるのか、長曾我部にやるのかということに関白の近衛先久がロビイストとして関わっているところに本能寺の変につながる背景があると。
近衛前久は関白。天皇を除けば1番家柄が良い人。前久がことごとく困らされていたのが佞人。
光秀に裏から指示をしたり、操る人がいるのが今までの黒幕説です。が、佞人ということは黒背景説が存在する。

出典:フジテレビ
前久は安土城の信長に光秀と同一歩調で長曾我部を弁護活動しますが、佞人どもが三好家に有利になるように、信長に讒訴(影で他人の悪口を言うこと)していたということなのです。

出典:フジテレビ
磯田先生は佞人は前久と対立する存在が公家におり、佞人の工作活動で信長は心変わりし、追い詰められた光秀が本能寺の変を起こしたのではないかというのが磯田先生の推測した説です。
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最後に
おもしろい!説得力がありますよね。この磯田先生の推測した説を信じたいですね。
そして、「麒麟がくる」の最終回で、本郷奏多さん演じる近衛前久はきっと信長と光秀の間をどうにかしようと動くのではないかと。
公家の近衛前久は天下平定を第一に動いた人、「「麒麟がくる」今後のキーマン、本郷奏多演じる近衛前久は戦国時代の坂本龍馬。仲介で世の平定に尽力!」で記事にしていますので、できればご一読ください。
この前久と実際に入魂の間柄だった明智光秀と近衛前久は利己のためでなく、世の平定のために尽力していたと信じます。
補足として、前久と光秀が入魂の間柄だったということについては歴史学者藤田達生先生のサライ.jpの記事「本能寺の変の背景で暗躍した近衛前久の末路」にも詳しく書かれています。
「麒麟がくる」の光秀は自分が天下を取るという訳ではなく、麒麟を連れてくるんですね!
<次週、ついに最終回!>
2月7日(日)
最終回「本能寺の変」
※最終回は15分拡大#麒麟がくる pic.twitter.com/P47GRk0xC1— 【公式】大河ドラマ「麒麟がくる」毎週日曜放送 (@nhk_kirin) January 31, 2021
忘れられない大河になりそうですね。
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