新選組副長土方歳三、剣士から戦略家へ。豊臣秀吉と並ぶ”城落としの名人”と磯田先生が称賛するほどの実績が!

土方歳三が戦死した日

NHK「英雄たちの選択」”鬼か?仏か?その後の新選組・土方歳三 ~宇都宮城攻防戦の真実~”(2020年7月8日放送)では、

土方歳三は剣士の集まりである新選組副長でしたが、巨大な名城を2つも難なく落としている戦略家でもあるという。

磯田先生が土方を称賛

出典:NHK

歴史学者磯田道史さんが豊臣秀吉や黒田官兵衛と並ぶ”城落としの名人”と称賛するほどの方だったのです。

土方歳三像

出典:はこぶら

今なお人気の高い新選組、特に土方歳三は若い世代からも人気なのです。

鳥羽・伏見の戦い以降敗戦が続く中、前向きに向かっていく姿勢が一貫して変わらないしイケメンだからではないから人気があるのではないかということです。

この放送では、ゲームなどでもイケメンに描かれる新選組土方歳三というより、別角度の戦略家土方歳三について迫ってます。
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戦略家土方歳三

鳥羽・伏見の戦いまでの新選組そして土方歳三

京都時代、新選組副長土方歳三

近藤勇と土方歳三

出典:NHK

新選組の局長は近藤勇、副長が土方歳三。

新選組組織図

出典:NHK

そこで、土方が作成した新選組の組織編制を見てみると、副長は局長を補佐するとともに実務における実質上のトップなのです。副長の補佐役として大使たちを統括するのが副長助勤です。

近藤勇が直接復調助勤に命令はしないのです。副長である土方歳三がキーになる組織編制なのです。

即断即決が可能な組織編制、これは土方の考えを反映しています。

ナンバー2が実務・実権を持っていて、ナンバー1は権威の源泉・旗印のような形。

新選組は自分の意志で入ってきた者ばかり、身分は浪人から農民、出身も松前藩から薩摩藩まで多様だったため、風習も習慣も違う。規律化するために鉄の規律を作り上げた土方は鬼と化していたのかもしれません。

鳥羽・伏見の戦いで大敗

しかし、1868年(慶応3年)12月9日、王政復古の大号令が発せられ、江戸幕府は消滅し、新選組の屋台骨が崩れます。

その一月後、1869年(慶応4年)1月3日、鳥羽・伏見の戦いで新選組を率いたが、近代兵器の前になすすべもなく敗北します。

鳥羽・伏見の戦い後の土方の言葉

出典:NHK

鳥羽・伏見の戦い大敗後の土方は「もはや武器は大砲でなければならない、剣を取り槍で戦ったが全く無益な事だった」と、江戸期に帰還し洋装い転じたと考えられています。

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宇都宮城、松前城を陥落

鳥羽・伏見の戦い以降、旧幕府軍はじめての勝利

1869年(慶応4年)3月6日、甲州勝沼の戦いでも新選組は敗北します。

その後、4月25日、近藤勇は新政府軍に流山でとらえられ、板橋で斬首となります。

この時の詳しい内容は、2017年12月7日(木)「英雄たちの選択」で放送されています。記事「司馬遼太郎のロングセラー映画化『燃えよ剣』で、岡田准一演じる新選組副組長土方歳三が全うした日本人の生き様の”美学”を観て感動したい!」にしてますので、よろしければご一読下さい。

4月11日、土方は6人の隊士とともに勝海舟決断の江戸無血開城に反対する旧幕府軍(大鳥圭介率いる約2,500人)に合流します。

そして、全軍の参謀に任じられます。

旧幕府軍、日光を目指す

出典:NHK

旧幕府軍は2手に分かれ、陸路で日光を目指しました。東北諸藩を糾合しようと。

そうした場合、難攻不落の宇都宮城を通過しなかればならなかった。

宇都宮城は南北900m、東西850mの巨大城郭、新政府軍率いる兵は400だが、籠城に徹すれば攻め手にとって厳しい戦いになるはず。

4月19日、土方らは宇都宮城に進軍した時、なぜか新政府軍が籠城せず、城外に。寄せ集めの新政府軍の指揮命令系統は混乱していたのである。

宇都宮城攻めの隊列

出典:NHK

土方らはそこを見逃さず西洋式軍隊を取り入れた精鋭部隊の伝習隊は北の大手門へ、土方率いる新選組や桑名藩兵は東南方面へ向かった。

宇都宮城陥落

出典:NHK

宇都宮城は北に向け防御施設を固めた城なので、北側に近代兵器で攻撃し、敵兵を集中させることで、土方隊が南側から白兵戦を仕掛け、陥落させたのです。

「土方歳三は奥羽の各所で勇ましく戦い、衆目を驚かせた。とりわけ、宇都宮城の戦いなどは新政府軍を心底恐れさせた」と戦術家としてその名を天下に轟かせた土方はさらなる戦いを求め北に向かったのです。

奥羽全軍を指揮する総督に榎本武揚が土方を推挙

会津を脱出した土方は旧幕府海軍を率いる榎本武揚と仙台で合流し、軍議に参加します。

その時に榎本武揚が奥羽全軍を指揮する総督が必要で、その役に土方を推挙します。

そこで、土方は「全軍の総督として指揮するためには、軍令を厳しくしなくてはならない」「破ろうならば大藩の家老であろうとこの土方歳三が切り捨てなくてはならない」と言います。

 

土方は蝦夷地を目指す決断をし、松前藩へ。1日足らずで松前城を陥落します。

しかし、開陽が沈没し、旧幕府軍は制海圏を失ってしまいます。

開陽が沈没

出典:NHK

土方は五稜郭を出て野戦にて応戦します。

しかし、1869年(明治2年)5月11日、新政府軍の大攻勢が始まり、享年35歳で戦死します。

土方の死から1週間後、五稜郭は新政府軍に明け渡され、戊辰戦争は幕をとじます。

土方が松前に入り、戦死するまでは下の動画で見ることができます。

 

磯田先生、逆に榎本艦隊は艦を上手に使ってないと厳しい指摘もありながらの、土方への称賛はすばらしいものでした。

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最後に

今回の放送で、土方が奥羽全軍の総督に推挙されてたほどの戦略家ということを詳しく知ることができました。

そういったところも人気の理由だったんですね。

非常に有意義な内容でした。

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CY

1970年長崎県五島生まれ 現在、家族は妻、息子の2人 品川区在住、品川区勤務 好きな作家:池井戸潤、伊坂幸太郎、真山仁 好きなドラマ:救命病棟24時、医龍 好きな映画:グローリー 好きな女優:石田ゆり子、イングリッド・バーグマン 好きなスニーカーメーカー:PATRICK