徳川慶喜は大政奉還をなぜ急いて行ったのか?また、反対する藩をどうやって説得したのか⁉

二条城の大政奉還

2021年6月16日(水)NHK「歴史探偵」では”謎の将軍 徳川慶喜”。

慶喜は今まで、大政奉還し江戸幕府を終わらせ、鳥羽伏見の戦いで家臣を見捨て大阪城から逃げたということから薄情だったり、自分勝手なイメージが強いと思います。

現在放送中の大河ドラマ「青天を衝け」では草彅剛さん演じる徳川慶喜は堤真一さんが演じた平岡円四郎だけでなく、遠山俊也さん演じる猪飼勝三郎など多くの家臣に慕われる殿。

14代将軍家茂の補佐、そして15代将軍の時は、朝廷の力が復活していく中では日本の舵取りとして判断すべきことが複雑過ぎてどうしようもなかったので、致し方なかったのではないかと。

まずは、慶喜の2大謎のうちの大政奉還に「歴史探偵」がAIまで使い、解明に迫ります。

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徳川慶喜が急ぎ大政奉還をした理由を解明

大政奉還の裏にあった慶喜の戦略

大政奉還についての検証、「昔夢会(せきむかい)筆記」をAIで解析

浮月楼

出典:NHK

静岡市にある浮月楼。明治になって慶喜が移り住んだ場所。

慶喜はそこで趣味に没頭し、人と会うことを避け続けたと言います。

幕末の事件について、慶喜は語ろうとしませんでしたが、真相に迫ろうとした人物がいました。

渋沢栄一です。

慶喜の家臣だった渋沢は何度も足を運び、ようやく慶喜の口を開かせることに成功します。

昔夢会筆記

出典:NHK

昔夢会(せきむかい)筆記は明治の世になって慶喜が渋沢に語った回顧録です。

幕末、そして明治維新の重大な局面で、慶喜が何を考え、どう行動したのか、その詳細が記されています。

慶喜は、自分の死後に公開することを条件に渋沢の取材を承諾。明治40年(1907年)7月から25回にわたり聞き取りが行われました。

慶喜は40年も前に起こったことを詳細に語りはじめ、慶喜だけ知る事実が次々と明らかになっていってます。

そこには大政奉還の記述も。

「政権返上、一同がそれを承知している」、藩の代表たちは「未曽有の御英断で有難いことでござるとお辞儀をした」ということで、慶喜は大政奉還が一同合意のもと承認されたと語っていました。

しかし、この記には随所に記憶がない、覚えていないという箇所が多く、慶喜が意図的に本心を隠している部分があると考えられます。

大政奉還の慶喜の証言は本当か

出典:NHK

ここで、番組は大政奉還の慶喜の証言が本当か見極める必要があるということで、最先端の科学技術を駆使して慶喜の真意に迫ることにします。

大政奉還についての記述をAIで検証

そこで、静岡大学狩野先生の力を借りて昔夢会筆記をAIで解析。

まず、明治時代に使われた表現に対応できるようAIに旧仮名遣いを学習させ、慶喜の証言、およそ6万5千字を読み込ませました。

続いて、文章にある曖昧な表現を抽出。

ごまかしの所

出典:NHK

その曖昧な部分が赤マーカーとなるが、赤さが強いほどAIがごまかしだと判断したのです。

狩野先生「あると断定すればいいところを”筈だ”とごまかしている」

大政奉還についてはほとんど本音を話していない

出典:NHK

AIの解析の結果から見ると、慶喜は大政奉還についてはほとんど本音を話していないということに。

9割が曖昧な表現

出典:NHK

9割が曖昧な表現だったのです。

大政奉還の一同が承知!は裏工作と同調圧力によるもの

それでは、大政奉還の裏で慶喜は本当はどう動いていたのでしょうか?

二条城

出典:NHK

番組は大政奉還の舞台、幕末は政治の中心だった二条城に。

大政奉還の様子

出典:NHK

徳川の世を終わらせた大政奉還。慶喜は天皇に政権を返上する前に家臣や諸藩に発表し、合意を取り付ける必要がありました。その発表の場が二条城でした。

絵は桜だが、実際は松

出典:NHK

その大広間には当時の様子が再現されています。

が、実は教科書などに挿絵されている大広間の絵の襖の絵柄は桜なのですが、実際の二条城の襖は松という違いがあったのです。

大政奉還の発表は2日間行われた

出典:NHK

大政奉還(の発表)は2日に分かれて行われていましたので、絵は現在の二条城に再現されている大広間と違う日のものだった違ったのです。

大政奉還1日目、2日目

出典:NHK

2日に分けて行われた大政奉還。

1日目は徳川家の家臣などに向けて、大広間の奥の黒書院という部屋で催されました。あの有名な絵は1日目の発表の様子を描いたもの。

重要だったのは2日目。大広間で発表された大政奉還です。

全国の藩の代表を集め、賛否を問う場。ここでは反対の声が上がることが予想されました。

では、慶喜はどうやって反対意見を抑え、一同の合意を取り付けることに成功したのでしょうか?

後藤象二郎

出典:NHK

その一つ目として、内通者の存在がありました。

後藤象二郎が論破する手筈

出典:NHK

慶喜の家臣は土佐藩後藤象二郎に大政奉還に反対する者を論破してくれと頼んでいたのです。

しかも、後藤だけではなく少なくとも3人を味方に引き込んでいたのでした。

目的を達成するため、したたかな裏工作が行われていたのです。

しかし、大政奉還を成功させるにはもう一つのクリアしなければならない課題がありました。

それは、反対意見を抑え込むこと。

発表の場には40藩50人が出席します。そのうち内通者は3人。一同の合意どころか、反対意見に押し負け、大政奉還そのものが拒絶される恐れも。

では、慶喜はこの難局をどうやって乗り切ったのでしょうか?

二つ目は、反対派をこの大政奉還(発表の)場から締め出す作戦でした。

そこで、番組が目を付けたのは慶喜が諸藩に送った書状「諸家様廻章留」。

そこには大政奉還発表の2日前に招集をかけ、議題については「国家の大事」としか書かれていませんでした。

突然の招集に国元や江戸に居る藩主は出席できません。そのため、京に居た藩の役人たちが集合。

そこで初めて大政奉還という衝撃の事実が発表されると、出席した役人たちの多くは藩主に意見を聞くために一目散に国元に帰ったのです。

50人居た出席者は6人に。

ここで、慶喜が姿を現します。

大政奉還について意見があれば申し出するように述べると、内通者が賛成意見を次々と申し出ます。

同調圧力によって反対意見は出ず、作戦成功。

全てシナリオ通りに進められたのです。

なぜ、大政奉還しなくてはならなかったのか?

そもそも、慶喜はどうして急ぎ大政奉還をしたのでしょう。

実は徳川家に朝敵の汚名を着せる動きがあったからです。

薩摩藩、長州藩を中心とする討幕派は天皇から許可を得て幕府を倒そうとしていました。

もし、天皇から討幕派に許可が下りると、慶喜は朝敵となってしまいます。

朝敵になることだけは絶対避けたい慶喜は速やかに政権を返上することで討幕派の攻撃を避けようとしたからなのです。

討幕の密勅

出典:NHK

実は、ちょうど大政奉還(の発表)と同じ10月13日に、薩摩藩に幕府を倒してもいいという密勅が出ていたのです。

しかし、慶喜が大政奉還したために討幕派は倒すべき幕府がなくなり、攻撃できなくなったのです。

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最後に

川合先生「慶喜の中では同じ幕府がなくなるにしても討幕派のよって滅ぼされるより、自ら政権を返したということで、新しい政権に自分が参加できるということを考えていたと考えられます」

慶喜はいいタイミングでいい選択をしたはずだったのですが…

その3ヶ月後、鳥羽伏見の戦いで徳川家は朝敵となってしまうのです。

その鳥羽伏見の戦いで朝敵となってしまう慶喜の大誤算について「鳥羽伏見の戦い、兵力3倍そして最新兵器を備えた幕府軍の敗北理由は錦の御旗だけでなく慢心にもあった。」で詳しく記していますので、よろしければ。

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1970年長崎県五島生まれ 現在、家族は妻、息子の2人 品川区在住、品川区勤務 好きな作家:池井戸潤、伊坂幸太郎、真山仁 好きなドラマ:救命病棟24時、医龍 好きな映画:グローリー 好きな女優:石田ゆり子、イングリッド・バーグマン 好きなスニーカーメーカー:PATRICK