剣豪と評価の足利義輝の最期の死闘がスゴイ!明智光秀は文献上接点はないが、麒麟がくることを望む者同士。

将軍足利義輝

2020年8月29日(土)NHK「土曜スタジオパーク」は”麒麟がくる 再開SP”でゲスト向井理さん。

足利義輝、刀を抜く

出典:NHK

現在「麒麟がくる」将軍・足利義輝役の向井理さんが関係者のインタビューを交え、足利義輝とは何者なのかを明らかに。

そして、2020年8月29日の「麒麟がくる」放送再開。だが、近々哀愁ただよう足利義輝だけでなく、剣豪としての強い向井理さんが演じるみたいですので、紹介します。

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向井理さん演じる足利義輝は哀愁ただようが、超強い将軍だった!

向井理さん演じる「麒麟がくる」の足利義輝

向井理さん、そのスタジオパークで

「今回の『麒麟がくる』とい台本の中では、長谷川さん演じる明智十兵衛が、僕(足利義輝)がいないと思ってたところで”将軍とは”、”武家の棟梁で”などいろいろ確信をつくことをおっしゃっていて」

「とはいえ、将軍なのでみんな慇懃(いんぎん)に接するというか、確信を言えずに、本音を言わずにみんな接してる中で、そうやって正々堂々と”将軍とはこうじゃなくてはいかん!”という人が表れたっていうのは、ある意味ショックで」

「この人なら本音を言ってくれるし、自分も言えるんじゃないかという思いはあのシーンで芽生えたんじゃないかなと思います」

 

この涙ながらに語るシーンは「結局は見てくれる方がどう受け止めるかなので、あまりメッセージ性を強くするというよりは単純にあの時、『十兵衛くんはこういうことを言ってくれたよね』で、『麒麟がくるという話はお父さんから聞いたいい思い出な話なんだ、でもこれが出来てない』という単純な、今までの経験を話しているだけで、何かを伝えたいという感じは正直考えてなくて、単純に哀愁みたいなものが出てくればいいなと思っていただけ」という思いでしたと。

監督的には「義輝は背中だね」と一言おっしゃって、今後も背中のシーンが多いかなと、向井さん。

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「麒麟がくる」の時代監修をされてる小和田哲男先生

「11歳で将軍になっているので、子どもと言えばあれなんですけど」「それで、30歳までに亡くなる…」

「将軍らしい将軍になりたかった…」「そのために命を縮めた…、というところがありますね」

「8代将軍足利義政の頃に応仁の乱(将軍家の後継者争いが発端で起こり、室町幕府衰退の大きな要因)が起きて、将軍そのもの、将軍権威が必要ない時代になっていった中で、『義輝が自分が力があるんだ』ということで、仲裁役を買ってでたりした”やる気のある将軍”だったという印象があります」

「ただ、むしろ将軍よりも事件を握ってるのは管領、細川春元、また細川の家臣の三好長慶なんかは2,000、3,000以上の兵力を持ってますので、実権はNo,2、No,3が持っているというのがこの時代だったので、そういった意味での将軍になってのもどかしさがあった…」

地方を転々とする義輝

出典:NHK

「実力者に京都を追われ、各地を転々するんですけど、落ち込まないで一生懸命剣を習ったり、歌を詠んだり、積極的な生き方をした人という印象あります」

小和田哲男

出典:NHK

「特に有名な塚原卜伝という剣豪に、剣を習ったりしてますので、歴代将軍としてそんな人いなですから、自分で『この世の中変えてやろう!』を前面に打ち出した積極的な人だったと思います」

「いかんせん、そういう部分を前面に押し出そうとした時にむしろもう『将軍はお飾りでいいんだよ』と世に中になってたんで、結局殺されてしまうのです」

「無能でいれば、将軍として長生きできたはずなんで」「その辺はどっちがいいかって感じですね」

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義輝の最期の死闘

足利義輝の行った親政は、特に、残った三好一族の危機感を強めてしまいました。

三好長慶亡き後の三好氏では、長慶の甥・三好義継が当主になっていたのですが、三好三人衆と呼ばれる重臣三人と松永久秀が中心となっておりました。

義輝側でも不穏な空気を感じており、二条御所の堀や土塁を強固にするなど、いざというときに備えます。

ルイス・フロイスの「日本史」によると、永禄の変前日、義輝は一旦京を離れようとして、御所から出ていたそうです。

しかし、義輝の近臣たちが「三好や松永を恐れて逃げ出すなんて、将軍の権威を失墜させることになる」と大反対があり、御所に戻ります。

三好三人衆と松永軍は、当時行われていた御所の門の改修が済む前に決着をつけてしまおうと考えており、清水寺の参詣を名目として、約1万の兵を率いて市中に入り、一気に御所に。

「将軍に訴訟あり」と偽って、取次を求めました。訴訟自体は事実だったとする説もありますが、この直後に攻撃を開始しているので、偽りではないかということ。

既に完全に包囲されたのですが、近臣たちはよく応戦。十数名で三好方の数十人を討ち取ったそうですから、士気の高さがうかがえます。

義輝はその後、近臣たち一人一人と最後の盃を交わし、三十名ほどを率いて自ら討って出たといいます。

これが日本史上稀に見る「征夷大将軍が兵を直接率いて戦った」瞬間だったと。

義輝自身も剣豪・塚原卜伝に教えを受けていたとされるだけあり、自ら薙刀を振るい、その後、手元にあった刀で応戦したといわれています。

このとき「名刀を畳に予め突き刺しておき、切れなくなっては次々に持ち替えていた」と語られてますが、後世の脚色である可能性が。

障子に挟まれる

出典:NHK

しかし、義輝の最期は「壮絶!」の一言に尽きるものでした。

三好義継らによって囲まれた義輝は、剣豪レベルにまで鍛えまくった剣術を活かし、襲いかかってきた敵兵を次々に自らの刀で斬り倒していったのです。

そこで義輝は、自身の周囲に予備の刀をぶっ刺しておき、敵を斬って倒して切れ味が悪くなっては、また新たな刀を握りしめ、いよいよ困った松永軍は「畳を持って四方から寄せ」て、この強すぎる剣豪将軍を討ち取りました。
このときの義輝の様子をルイス・フロイスの「日本史」では「薙刀や刀を持って戦った」と記されており、江戸時代の「日本外史」では「名刀を次々に取り換えながら戦い、三十数人を斬った」と。

奮戦した義輝主従も、多勢に無勢。当日、在京していた公家の山科言継の日記「言継卿記」によれば、この日の正午過ぎあたりには側近が全員討死あるいは自害し、義輝も自害したということです。

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最後に、麒麟が

放送再開の「麒麟がくる」の22話目は”京よりの使者”です。

桶狭間の戦いから4年がたった。

ある日、越前の光秀(長谷川博己)のもとに京から細川藤孝が訪ねてくる。藤孝は将軍足利義輝(向井理)が、光秀に会いたがっていると告げる。義輝は京で、三好長慶の完全な傀儡(かいらい)となっていた。

引用:NHK_PR

まだ、三好長慶が生存しているので、足利義輝の最期は次週以降なんじゃないかなと思いますが、「麒麟がくる」放送再開、そして、今後も見逃せないですね。
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CY

1970年長崎県五島生まれ 現在、家族は妻、息子の2人 品川区在住、品川区勤務 好きな作家:池井戸潤、伊坂幸太郎、真山仁 好きなドラマ:救命病棟24時、医龍 好きな映画:グローリー 好きな女優:石田ゆり子、イングリッド・バーグマン 好きなスニーカーメーカー:PATRICK