アウン・サン・スーチーにとっては軍クーデターは好都合⁉今まで軍を無理やり排除できなかったので。

アウン・サン・スーチーが国家顧問に

20201年2月、ミャンマー与党・国民民主連盟(NLD)を率いるアウン・サン・スーチー国家顧問が国軍に拘束されました。

アウンサンスーチー拘束

出典:NHK

昨年11月の総選挙でNLDが改選議席の8割を超す議席を得て、軍人枠が4分の1を占める連邦議会での単独過半数を制しました。しかし、軍は異論を唱え、先月1月26日に選挙での不正を主張する会見を開催。

拘束はその矢先の出来事。

スーチーはロヒンギャ難民問題で国際社会から非難されても、ミャンマー国軍との衝突を避けてきました。我慢せざるを得なかったのです。

総選挙圧勝で軍がクーデターを起こすことで、国際社会が軍を非難し、制裁を加え始めています。

スーチーは現在拘束されていますが、これまでの経緯についてから、この時を待っていたのかもしれません。

2019年12月9日放送の「BS世界のドキュメンタリー」”「ミャンマー民主化の内側で」アウンサンスーチーの真実”を見るとそのことはわかりやすいので、紹介します。

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 経緯から考えるスーチーとミャンマー国民は今回の軍クーデターで軍を政権から排除できそうか?

国際社会から孤立していたミャンマー、軍事政権が民主主義へと移行した経緯

軍事政権時の政府関係者の話

アウン・サン・スーチーは15年自宅に軟禁されながら、民主主義実現にために戦いつづけました。

ミャンマーの軍事政権は国際社会から孤立し、厳しい制裁を課されていました。状況を変えるには民主主義への移行しかありませんでした。

そこで軍人たちは民主的な選挙のロードマップを公表、その証として長年の宿敵だったアウンサンスーチーを自宅軟禁から解放しました。

テイン・セイン

テイン・セイン

出典:NHK

第8代大統領(2011年3月~2016年3月)テイン・セインは軍事独裁政権下でトップ5に入る将軍。
アメリカの制裁対象リストにもその名が載っていた。
2010年に軍を退役し、2011年にミャンマー大統領に選出されます。

テイン・セイン「自分が大統領になるとは思っていなかったし、なりたいとも思っていませんでした」「政府のトップとして大統領になった後、組閣を行いました」「私が選んだ閣僚のほとんどは前の軍事政権のメンバーでした」「多くの者は高学歴でそれぞれの職務において豊富な経験を持っていました」「しかし、どのように民主主義へと移行すればいいのかだけは誰にもわかりませんでした」「私たちは50年以上民主主義とは無縁に生きてきたからです」

ソー・テイン

ソー・テイン

出典:NHK

ソー・テインは40年軍歴を経て海軍党則に上り詰める。
彼とその家族全員がEUの制裁対象だった。
最高位の将軍の1人としてテイン・セイン政権で指導的役割を託された。

ソー・テイン「当時の体制は軍事政権の延長でした」「私たちは政治体制をどう改変すればいいかわからず、その難しさに頭を悩ませていました」「軍事政権と民主的な生徒は何もかもが大違い」

アウン・ミン

アウン・ミン

出典:NHK

アウン・ミンは40年間軍事独裁政権の一員だった。
彼とその家族全員がEUの制裁対象だった。
テイン・セイン政権に加わり平和と民主主義のために働く。

アウン・ミン「テイン・セインが大統領に就いた時、私は政治改革を指揮するように言われました」「その時から経験に深くかかわってきました」「民主国家とは国民によって支配されるものです」「国は国民のためのもの」「国民の要望が正しかろうが間違っていようがそれに従って行動しなくてはなりません」

タウ・ミン・ウー

タン・ミン・ウー

出典:NHK

タウ・ミン・ウーは歴史学者。
祖父は元国連事務総長。
国連の職員やテイン・セイン大統領の顧問も務めた。

タウ・ミン・ウー「1990年代のはじめまで、ミャンマーは自ら制裁を招いていた」「軍事政権は四半世紀もの間、この国を孤立させていたんです」「彼らが本当に官僚組織を改革し価値観を変えたいと思うなら国際社会と向き合い、IMFなどの国際金融機関から援助を受ける必要がありました」「そのため、政府の方針は軍事政権の時代から大きく変わりました」「制裁の解除が最優先の課題になったのです」

イエ・トウ

イエ・トウ

出典:NHK

イエ・トウは軍歴30年。
情報及び軍事プロパガンダを担当。
彼とその家族全員がEUの制裁対象だった。
大統領報道官及び情報大臣に就任

イエ・トウ「欧米諸国は軍人が政治の中で重要な役割を担ったり、軍事クーデターを起こしたりすることを嫌います」
「大統領はアウン・サン・スーチーを政治に参画させない限り国際社会の理解は得られないとわかっていました」「彼女と軍事政権では考え方が全く違います」「そのため『大統領は死んだトラを生き返らせようとしている』と陰口を叩く者もいました」

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アウン・サン・スーチー、政治に初参画

2012年5月、連邦議会でいくつかの空席を埋める必要が生じた際、白い平服の指導者たちはアウンサンスーチーが補欠選挙に参加することを認めました。

対象となる議席は全体の8%。民主改革派がどんなに議席を獲得しても大きな影響力は望めません。しかし、これが最初の入り口となりました。

民主化運動の指導者スー・チーが連邦議会の議員に就任。軍事独裁後のミャンマーに新時代をもたらします。彼女とその政党の新人議員が憲法の順守を宣誓しました。
約20年の自宅軟禁から大きな変化です。

ウィン・ティン

出典:NHK

ウィン・ティンは軍事政権によって23年間政治犯として投獄されていた。
2012年アウン・サン・スーチー率いるNLD(国民民主連盟)の報道官となる。

ウィン・ティン「連邦議会にはマスコミが詰めかけていました」「『彼らに侵略者が来るぞ』と言いました」「私たちの目標は自分たちのポリシーに基づいて政治闘争を継続、新の民主国家を建設することにありました」

スーチー

出典:NHK

スーチー「軍に対して好感を持っているので、一緒に席に就くことをうれしく思います」「議会に民主主義価値観を尊重してほしいだけです」「排除の意志などはありません」
「最大の問題は信頼や信用が失われていることです」「皆誰のことも信じていません」「長年にわたる独裁体制の結果です」「独裁体制の下ではいつ誰に密告されるかわからないので、常に用心しなくてはなりません」「相手を疑う気持ちが心の奥底まで沁みついてしまったんです」「これが和解の実現を難しくしています」

民主化へ努力が続く一方、軍によって定められた憲法には彼らの権力を温存するためのルールが盛り込まれていました。
そのため憲法は軍にとって聖書のような存在になっていました。

その憲法では将軍は誰一人過去の罪によって訴追されることはありません。また、いかなる文民政府も軍を支配することはできません。安全保障・国境・国防の各省は軍の管理下に置かれます。

軍の同意がなしに憲法が変えられることがないよう連邦議会の議席の4分の1は軍人に割り当てられました。

さらにこの憲法はアウン・サン・スーチーが大統領になることを阻んでいました。

シトゥ・アウン・ミン

出典:NHK

ジャーナリストのシトゥ・アウン・ミン「軍はアウン・サン・スーチーを敵とみなしています」「ですから軍部は何としてでも彼女が大統領になるのを阻止しようとしました」「そこで考え出されたのが憲法59条のF項、外国籍の家族がいる人物の大統領就任を禁じています」「イギリス国籍の息子がいるアウン・サン・スーチーが大統領になることを妨げるものでした」

スーチー

出典:NHK

スーチー「軍部内には国をまとめることが出来るのは自分たちだけと考える人々もいます」「50年以上政権を握っていたわけですから無理もありません」「今も憲法が彼らの権限を守っています」

ティン・ウー

出典:NHK

ティン・ウーはアウン・サン・スーチーと並ぶ国民民主連盟の共同創設者

ティン・ウー「彼女は『私は大統領なりたいし、なってみせます』と明確に宣言しています」「憲法第59条の問題はFの条項です」「アウン・サン・スーチーが大統領になることを妨げています」

軍の同意なしに憲法は変えられません。そこでアウン・サン・スーチーは軍人たちと直接交渉し問題の条項を削除してくれるよう動き出しました。

しかし、そのような交渉に誰も耳を貸そうとしませんでした。

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軍が大統領就任を目指すスーチー阻止の1つ目の動き

スーチーにシュエ・マン接近

しかし、一人だけ喜んで話を聞こうという人物がいました。

アウン・サン・スーチーとシュエ・マン

出典:NHK

軍事政権時代にNo,3の将軍だったシュエ・マンです。彼は新たな政権で大統領になるものと目されていました。しかし、退陣する独裁者の意向によって政府の主要ポストから外されてしまいます。

彼に与えられたポストは連邦議会開院の議長。閣僚には選ばれませんでした。
野心的な人物をのけ者にしたことで政府の指導者たちは思わぬしっぺ返しを受けてしまいます。

イエ・トウ

出典:NHK

イエ・トウ「敵の敵は友とよく言うでしょう」「まさしく、それです」「シュエ・マンは要領がいい策士です」

テイン・セイン

出典:NHK

テイン・セイン「あの二人が手を結んだことで我々は大きな打撃を受けました」

ソー・テイン

出典:NHK

ソー・テイン「彼の頭の中にあるのは個人的な利益」

イエ・トウ

出典:NHK

イエ・トウ「アウンサンスーチーは政府の仕組みをよく理解していませんでした」「自宅に軟禁されていた20年間に軍や政府の内部で何があったのかもあまりしりません」「そのため好むと好まざるとかかわらず、そのような知識を共有し、助言をしてくれる人物を必要としていたのです」

テイン・セイン

テイン・セイン「アウンサンスーチーはシュエ・マンと手を組めば、憲法第59条のF項を改正できると考えました」「憲法改正するためには軍部の票が少なくとも1票必要です」「彼女はシュエ・マンがそれをもたらしてくれると期待しました」

ウィン・ティン「シュエ・マンは憲法の改正について連邦議会で協議することに同意しました」

シュエ・マンは憲法の改正について協議することに同意

出典:NHK

アウン・ミン「あの条項を改正するには連邦議会の75%プラス1人の賛成票が必要です」「軍は連邦議会の議席の25%を占めていました」

2015年6月、軍がシュエ・マンを自宅軟禁

シュエ・マンは憲法の改正は不可能だとわかっていました。しかし次の選挙で国民民主連盟が勝てばアウン・サン・スーチー自身が大統領になれなくてもシュエ・マンを指名することが出来る。それが彼の狙いでした。

ソー・テイン「彼(シュエ・マン)は40年間、軍と共に生きてきました」「それを裏切ったのですから軍の中に彼を支持するものなど一人もいませんでした」

改正法案は否決

出典:NHK

ここまではシュエ・マンの想定通りでした。しかし、その後の思わぬ展開によって彼は大統領になる機会を失います。

軍の本部には厳重な警備が敷かれています。深夜も多くの人の出入りが。強力な与党の党首が解任されました。連邦議会の議長であるシュエ・マンは自宅軟禁の模様。

軍とつながりの強い保守勢力が彼の更迭に動いたようです。

テイン・セイン

テイン・セイン「私は当時大統領の地位にありましたが、私が指示を出したわけではありません」「党の指導部の誰かが動いたんです」「組織の更生を一部変更し、彼を排除するためにです」

ウィン・ティン

出典:NHK

NLD報道官ウィン・ティン「あの解任劇を企てた栗幕は軍事政権の独裁者だったタン・シュエだったろうと睨んでいます」「国家元首を退いた後も強い影響力を持っていましたから」「党首の挿げ替えを簡単に実行できる人物などほかにいません」「あんな命令を出せるのは彼だけです」

タン・シュエ

出典:NHK

舞台裏では相変わらず長老が糸を引いていたようです。20年に渡りミャンマーに圧政を敷いたタン・シュエです。
新憲法の制定や民政への移管を指示したのも彼でした。
その後も全てが筋書き通りに運んでいるか目を光らせていました。

国家元首の座を降りる際、彼は自分の権限を2つに分け文民の大統領と軍の司令官にそれぞれ引き継ぎました。

ミン・アラン・フライン

出典:NHK

ウィン・ティン「軍の最高司令官はタン・シユエが占星術にて決めました」

ミャンマーにおいて、僧侶や占星術師は常に大きな役割を担い、人々の生活にも重要な影響を及ぼしてきました。

タン・シユエが最も恐れたのは常に自分の往く手に立ち塞がったアウン・サン・スーチーでした。
彼女を自宅軟禁にした後でさえ、その脅威について4人の占星術師に占わせてたほどです。

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2015年総選挙、スーチー率いるNLDが圧倒的な勝利

スーチー率いるNLDが勝利したが、

選挙が約束通り実施されるか否かはタン・シユエの決断ひとつにかかっていました。
彼はアウン・サン・スーチーが大統領になれない憲法の規程を踏まえたうえで自由選挙の実施を許可しました

ウィン・ティン「彼等は投票日を2015年11月4日と決めました」「最も位の高い占星術師がその日に選挙を行えば、大勝利になると告げたからです」「ご存知の通り全く正反対の結果に終わりました」

アウン・サン・スーチーと国民は25年間待ち続けました。彼女の政党である国民民主連盟はこの日の選挙で圧倒的な勝利を収めました。

2016年2月、選挙の圧勝で議会は新しい色で埋め尽くされました。

アウン・サン・スーチーは今や絶対多数を占める与党の党首です。しかし、大統領になれないことには変わりありません。
軍部は権力を守る勢力を維持し、主要な閣僚ポストも抑えていました。
数十年にわたる闘争の末、ようやく政権を獲得してもアウン・サン・スーチーは軍から逃れることが出来ません。
そもそも両者は切っても切れないほど深い因縁で結ばれていました。

スーチーと軍の因縁の過去

アウン・サン将軍

出典:NHK

1940年代のミャンマーではイギリスの植民地支配からの独立闘争が行われていました。
その実現のためには国民の団結が必要でした。しかしそれは決してたやすいことではありませんでした。
ミャンマーは多様性に富んだ国です。
山岳地帯や丘陵地帯、ジャングルなど様々な地形が広がる国土、そこには数多くの少数民族が暮らし、様々な宗教が信じられていました。

アウン・サンはビルマ独立義勇軍を創設。すべての国民が団結して立ち上がればイギリスを追い出すことが出来ると呼びかけました。

イギリスからの独立は達成されましたが、アウン・サンは政敵によって暗殺されました。国民は建国の父を失いました。しかし、彼は自らが手塩にかけた2つのモノをこの国に遺しました。

若かりしアウン・サン・スーチー

出典:NHK

軍隊と娘のアウン・サン・スーチーです。

ウィン・ティン

出典:NHK

ウィン・ティン「彼女の父親が独立の立役者だということは国民のだれもが知っています」「同時に彼はミャンマーの国軍の創設者でもあります」「つまり、軍人たちはアウン・サンの息子や孫のような存在です」「軍事政権になると軍そのものが(ス―チーの)親のようなものになりました」

アウン・サン・スーチーと国軍は元々兄弟のような関係にあったのです。
それが今では権力を分け合うような形となりました。

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国家顧問、アウン・サン・スーチー誕生だが

しかし、彼女は軍の力を抑え自分が権力の頂点に立つことを諦めていませんでした。

憲法で大統領就任を禁じられた彼女が軍に挑みます。

大統領以上の存在

出典:NHK

スーチー「憲法が定めていない大統領以上の存在になります」

海外メディア「軍の抵抗にもかかわらず、国家顧問法案が過半数の賛成票を得て可決されました」「軍は反対を唱えましたが、法律は制定されました」

ティン・ウー2

出典:NHK

ティン・ウー「国家顧問と言う立場になれば大統領を含む全ての省庁のトップを管理下に置くことが出来ます」「実に懸命なやり方です」

ウィン・ティン

ウィン・ティン「軍人たちはこう非難しました」「『民主的独裁!』、ブラボー、いい響きです」

「国家顧問のアイデアを考えたのは弁護士のコー・ニーでした」「彼が憲法を調べ尽くして抜け穴を見つけたんです」「大統領は新しい役職を作り、担当者を任命し、しかるべき地位を与えることが出来るという条項です」

NLD法律顧問コー・ニー

出典:NHK

コー・ニー「もっとも重要なことは私たちが真っ先にやるべきこと」「それは憲法の改正です」

スーチー「全ての決定は私が下します」「憲法第59条F項の条件を満たす大統領の人選が必要ならそれも私が選びます」

テイン・チョー大統領就任

出典:NHK

ティン・ウー「テイン・チョー大統領はアウン・サン・スーチーの望み通り動きます」「二人は学生時代の同級生でした」「テイン・チョーは非常にまじめで、穏やかな人物です」「彼はアウン・サン・スーチーの要望を全て受け入れます」「ですから、彼女は実質的に大統領よりも上の地位に立ってやりたいことができます」「すべてを動かし管理できるのです」

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最後に

実際には全てを思い通り動かせたわけではありません。
彼女はルールに従って権力闘争を続けましたが、軍部はリングを降りようとしませんでした。

そして彼等なりのやり方で答えを尽き返しました。

暴力です。

アウン・サン・スーチーの側近で政府の法律顧問が射殺されました。これが軍の行ったスーチー阻止の2つ目です。
この射殺は軍が関わってるかどうか?についてはNewsweek日本版2019年2月17日(日)の記事で詳しく書かれていますので、よろしければ。「ミャンマー、与党法律顧問暗殺事件の犯人2人に死刑判決 真相解明を阻む軍部の存在

3つめはロヒンギャ難民問題になる、軍の民族浄化(ミャンマーはテロ制圧と主張)でした。

2つ目、3つ目の詳しいことに関しては「アウン・サン・スーチーへのミャンマー軍部クーデターの下地は2017年から整えてた!が。」の番組後半をまとめた記事にて読むことができます。

しかし、今回のクーデターは軍が起こしていることは確実。

今後国際社会から孤立、制裁が厳しくなり、国民のデモ活動も激しさを増しており、まだ道は険しいですが、ミャンマー民主化が近づいてきていることは確かです。

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ABOUTこの記事をかいた人

1970年長崎県五島生まれ 現在、家族は妻、息子の2人 品川区在住、品川区勤務 好きな作家:池井戸潤、伊坂幸太郎、真山仁 好きなドラマ:救命病棟24時、医龍 好きな映画:グローリー 好きな女優:石田ゆり子、イングリッド・バーグマン 好きなスニーカーメーカー:PATRICK