2019年6月21日(金)、NHK BS「ドキュランドへようこそ」で”マイケル・ジャクソン 最期の24時間”が放送されていました。
マイケル・ジャクソンが亡くなったのは2009年6月25日。明日、没後10年になります。
12年ぶりの世界ツアーを間近に控えたマイケル・ジャクソンの訃報は全世界のファンを悲しみに陥れました。
彼は、死に至る前、極度の不眠から麻酔薬注射を常用していたといいますが、死の前日のリハーサルは薬漬けになってることを全く感じさせない圧巻のパフォーマンスだったということです。
これから自分の人生の主導権を握って生きていけるとは思ってなかったかもしれませんが、ファンに完璧なパフォーマンスを見せなくてはいけないという気持ちがそうさせたのかもしれません。
しかし、これまでに色々あり過ぎて、考えすぎて眠れず、薬に頼るしかなくなってたのでしょう。
色々な事について、マイケル・ジャクソンをよく知る方のコメントが本当のことを物語ってますので、紹介します。
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目次
マイケル・ジャクソンに起こった色々な悲劇
CМ撮影中のやけどが発端とされる整形手術
1984年1月27日、CМ撮影中、点火装置の作動が早過ぎて、マイケルの体に火が燃え移り、髪と顔が焼けたしまう事故が発生しました。
やけどが発端とされる形成外科での手術を受けざるを得ませんでしたが、その後、生涯にわたってその手術に溺れることとなります。
また、鎮痛剤を使い始めたのも、この時です。ステージから落ちて足を骨折したり、脊椎を骨折したり、激しい痛みに悩まされていたからです。
マイケルは白人になりたかったのか?(誤解、興味報道)
マイケルは白斑を患っていました。検死報告で白斑が確認されてます。
しかし、人々はマイケルは白人になりたがってると決めつけました。
多くの人はマイケルが白斑だということ(1993年、本人公表)を信じませんでしたし、その事実すら知らなかったのです。
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幼児虐待疑惑
マイケルの友人スーザン・エトク博士「初めて会った頃のマイケルは、まだ、人生の主導権を自分の手に握っていました」「それが徐々に失われていったのは、2003年に偽りの訴えを受け絶望に陥ってからのことです」「そして、何人もの医師が彼の生活に入り込んできました」
「でも、彼らはマイケルに影響を及ぼし、人生の主導権を彼から奪っていったのです」
マイケルは1997年を最後に本格的なライブツアーから身を引き、4億ドルとも言われる借金に密かに苦しめられます。
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死の前日、圧巻のリハーサル
タレントナビのコメントで「ディレクターたちはマイケルがショーに向けてエネルギーを集中させ、本番のステージを楽しみにしていたということを世界に知らしめたかったのでしょう」「自分が十分パフォーマンスができるということを示したい、そんなマイケルの熱意が伝わってきます」とありました。
一方、心理学者ピーター・ヒューズ博士「死の前日、圧倒的なパフォーマンスを周囲に見せつけます」「驚くべきことです」「麻酔薬が60日も連続で投与され、そのほかの薬も含め大量の薬物が体内にあったにもかかわらず、ほかの多くのアーティストたちが夢にしかみることができないようなパフォーマンスをしたのです」
「マイケル・ジャクソンのことをどう思おうと、彼が最高のパフォーマーだったことは誰もが認めざるを得ません」「それを証明するのが、死の前日に行われた彼の最後のパフォーマンスでした」
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最後に
2019年6月25日午前10時20分、1時に床についたマイケルはまだ眠れませんでした。マレー医師は最後に25gの麻酔薬を投与、マイケルはやっと深い眠りに落ち、そのまま11時30分に心停止となります。
マイケルの友人スーザン・エトク博士が「メディアの報道と裁判でマイケルはひどく傷つきました。それらが彼を追い詰め、ついには殺してしまったのです。」という言葉にこのドキュメンタリー番組の全てが集約されます。
わたしが感じたことは、マイケル・ジャクソンは子供の時に親からの虐待や兄弟からのいじめの中で、自分の居場所を探し続けて、その後一度は見つけたのでしょうが、富や名声を通してしか彼を見ていない人の言葉までも信じてしまったことが災いとなって降りかかったのではないかと。
偉大なパフォーマーでも心は一人の人間、承認欲求を求める気持ちと身体の差を埋めることができなかった結果なのかもしれません。
誰に承認されても自分自身以外は一部だけしか見て、承認されてないことを知って生きていかなければいけないのは、
SNSを利用して承認されたいと思っているわたしたちも同じような気がします。
利用したつもりが、利用されてることに…
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